4月からも「森野熊八グルメタイム〜ニッポン全国 うまい、うまい!〜」は続きます。これからもどうぞよろしくお付き合いください。

4月から番組のエンディングテーマ曲が、森野熊八さんの「背中に愛してる」に変わりました。

今週は、熊八さんが料理の道に進んだ歴史を話してくれました。

小学校1年で包丁を持つ

熊八さんの家はご両親ともに働いていたので、幼稚園の頃にすでに自分でインスタントラーメン(袋麺)を鍋で作るような子どもでした。お客さんが多い家だったので、お母さんがお客さんの料理を作るそばにくっついていたり、子どもの頃から台所に立つことが多かったそうです。また、おばあさまが料理研究家だったため、常に身の回りに料理があった子供時代でした。小学校1年の頃には、すでに包丁を握ってサラダなどを作っては喜んでいたんだとか。

高校、大学時代は鮮魚店でアルバイト

16歳、高校1年生の時に近所の鮮魚店でアルバイトをはじめました。これがプロに料理に関することを教わった最初のステップでした。魚を扱ってン十年のプロの中に高校生が飛び込んだわけですから、みなさんにとっては熊八さんが孫みたいなもの。 とても可愛がってくれ、魚のさばき方、塩焼きのための串の打ち方、イカの皮の剥き方など、いろんなことを教えてくれたんだとか。大学4年まで、魚屋さんでのアルバイトを続けました。この経験があるので、熊八さんは今も魚をおろすのは得意なんですって。

フレンチレストランで修行

大学卒業後の進路として熊八さんが目指したのは、歌手! 大学4年間でデビューするつもりでしたが、それが叶わず、某大手企業に就職しました。ところが夢を諦め切れずに3ヶ月で退職! 鮮魚店のアルバイト経験もあったので、何も知らないままフレンチレストランに飛び込みました。その時の師匠が「ほかの人より料理を勉強するスタートが遅かったから、いろんな店で働いてみろ」とアドバイスしてくれたので、熊八さんは30代になって自分の店を出すまで、あちこちの店で修行を続けました。

歌う料理人・森野熊八、誕生

歌う料理人とは、レシピか歌詞になっている歌をうたいながら料理を作る人。

どうしてこんなことになったかというと…熊八さん、本当は歌手になりたかったんです。

中学に入ってギターを買ってもらって歌い、大学生の頃は1年に150本もの本数のライブを行っていました。どこにでも行くし、どこでも歌う、軽トラックの荷台で歌ったこともあるんだそうです。

大学卒業後も歌いたかったけれど、仕事があるのでそこまでライブをやってられない。そんな時、大学時代に一緒にバンドをやってその後音楽業界にすすんだ仲間から、「歌いながら料理を作ればいいんじゃない?」と言われたのが、「歌う料理人・森野熊八」誕生のきっかけでした。

29歳の時、週刊誌「フライデー」に歌う料理人として取り上げられると、その日のうちにテレビ局から電話がかかってきました。そして、一気に民放各局のワイドショーへのテレビ出演が決まり、メディアに出演するようになったのです。

現在は、大学の非常勤講師も

家庭科の教員免許を持っている熊八さん。近畿大学付属の短大で30歳の頃にとりました。その後母校で、そして恵泉女学園大学でも非常勤講師として授業を受け持ちました。

そして2018年4月からは、桜美林大学の非常勤講師に。フードビジネスと食材の授業を行う予定です。